ごあいさつ
順天堂の歴史は天保九年(1838年)、初代佐藤泰然先生が江戸薬研堀にオランダ医学塾を開いた時に遡ります。以来、日本最古の西洋医学を伝授する塾として今日に至っております。幕末の動乱期、所謂『蛮社の獄』を境にして、順天堂は江戸から千葉の佐倉の地に本拠を移しました。当時の西洋排斥・攘夷の風潮から逃れる為でもありました。時の千葉・佐倉の藩主は“西洋堀田”とあだ名されるほど西洋文明に理解を示した英明な名君でありました。その庇護を受け、順天堂医学塾は多数の門下生と共に佐倉に移り住みました。そこで『日新の医学佐倉の林中より生ず』と言われたが如く、全国諸藩より百人を越える門下生が佐倉の地に集まったのであります。
第2代目の堂主、佐藤尚中は明治二年、時の政府によって設立された大学東校(東京大学医学部の前身)の初代校長として27名の教授陣中、20名以上の教授を順天堂より率いて赴任いたしました。現在の順天堂は東京都文京区、御茶ノ水駅の前、湯島と本郷に亘る地域に本拠を構え、1,051床の病院(順天堂醫院)を擁しております。
また、同じく都内に順天堂大学練馬病院(平成17年7月開院、490床)、静岡県には順天堂大学静岡病院(577床)、埼玉県には順天堂大学越谷病院(226床)、そしてここ千葉県には順天堂大学浦安病院(785床)が存在します。東京都が江東区に21世紀高齢者に対する高度医療を提供すべく、その先駆的役割を果たす使命を担い『東京都江東高齢者医療センター(404床)』を設立いたしましたが、その経営は全て順天堂に委託されました。これを加えまして6つの基幹病院が順天堂が建学以来掲げてきました、“仁”の心に基づいた医療を推進いたしております。
順天堂の校章は明治初年度、順天堂醫院における薬袋に使われた「仁」を意匠化したものであります。「人ありて我あり。他を思いやり、慈しむ心、仁」これが順天堂に学ぶ者全ての目指すところであります。病む人の立場に立ってその心身を癒す医学、病まない健康な心身を作るスポーツ健康医学、そしてスポーツ医学、病気からの回復を促進するリハビリテーション医学、そして高齢者・母子に優しい医療が順天堂の掲げる「健康大学」の根幹を成す理念であります。
ここ浦安市は人口約17万人(167,605人:2017年7月末日)の都市でありますが、東京ディズニーリゾートを訪れる人は1日平均約10万人にも達し、合計27万人規模の大都市であります。加うるにこのリゾート・エリアを中心に張り巡らされ、整備された交通網は東京都はもとより、千葉県のほぼ全領域の患者さんにとっても交通の便の極めて良い地域となっており、市川市を中心にその周辺人口は100万人を遥かに越えております。順天堂大学は高度の医療施設を擁し、たくさんの優れた臨床医が働いておりますが、日本最古の歴史を持つ医学塾にしては極めてユニークな特色を持っております。それは、ここに働く人間には所謂学閥がないことです。全国から優秀な人が順天堂に学び、そして秀れた医療技術と仁の心を習得して全国に散っていく、これこそが、順天堂が目指す基本的な教育の精神であります。全国各地の医学部を卒業し、ここに参集した優れた臨床医の集団、それが順天堂です。加うるに、100年以上の歴史を持って育てられてきた「病者に優しい」優秀な看護師陣は順天堂の医療の担い手です。この大学附属病院における技師、そして事務職員など全ての人々は、医育機関としての本病院に誇りを持って日々働いております。
順天堂ではこれらのスタッフが心を1つにして、ともすれば切り捨てられがちな高齢者の医療、小児の医療、そして高度な救急医療に特に力を注いでおります。「どの科にかかるべきか判らない」というたくさんの疾病を持った高齢者の患者さんの為の外来も用意されております。また、地域の開業医の方々を中心とする医療施設との協力・協調も順天堂大学の大きな特徴です。
順天堂は175年余の伝統に基づき、仁の心を尊び、病める人の立場に立った医療に今後も邁進していく所存です。病む人、そしてそのご家族の方々の信頼と癒しの場所として順天堂大学浦安病院が十二分に機能することを心より願っております。